毛はえ地蔵 ②
『毛はえ地蔵 第2章‐毛の国物語』
とおい昔のことです、東国に毛の国という大きな国がありました。そこではお米がたくさんとれ、たいへん豊かでありましたので、まわりの国々をすべてしたがえるほどの力を誇っていました。
ところがやがて、毛の国に勝るとも劣らぬくらい大きな国があらわれ、その領地をどんどん広げ始めたのです。
毛の国の殿様は、とてもお困りになり、思案の末、都におわします帝のお力におすがりすることにしました。しかし、家中の意見はまっぷたつに分かれておりましたので、ことはひそかに進めなければなりませんでした。どうやら、家老を中心とした一派が、この機に乗じてお家の乗っとりを画策しておるようなのです。
そのとき、殿様が都への使者としてお選びになったのが、一人息子の若君であります。殿様は言いました、
「このたびは、たいへん難しい使いとなるぞ。都にも、われらのことを心好く思わぬ者たちが大勢おるのだ。帝の力添えを得るためには、その者たちをこちら側にとりこまねばならない。そこで、彼らの心を動かすような特別な貢物を贈ることにした」
「なるほど、それにはよほどのものでなければなりませんね」と、息子。
「うん、じつはな、開祖・豊城入彦命様は、この地に入られるおりに、都にて秘術を授かって参られたのだ。それはとうに都では途絶えてしまっており、当家にしか残っておらぬ」
「そのようなものがわが家に有りましたとは」
「初代よりこのかた、当主にのみ伝えられてきた秘術である」
「して、その物とは?」
「おまえは、なぜわが一族が毛野という姓を名乗るようになったのか、その訳を知っておるか?」
「不勉強にてございます」
「なぜわが一族が毛野なのか、それはな……みな、髪の毛がフサフサだからなのだ」
「えっ、そのような理由だったのですか?!」
「そうだ、わが国が毛の国と呼ばれておるのはダテではないぞ。よいか、開祖様が都で授かった秘術の正体とは、毛生えの業である。その業によってつくられた秘薬をおまえに託す、都の内裏にも薄毛に悩む人々も多いと聞く、行ってそれを救い、同時にわが国の窮地をも救うのだ」
こうして薬を背負わされた若君は、誰にも知られぬようこっそりと、館を発ちます。
当時、毛野国から都へ上るさいは、東山道と呼ばれる道を通りました。それは、いくつもの大きな川を渡らなければならない東海道とちがい、峠を越えて行く山道で、近江を起点として美濃国-信濃国-上野国-下野国を経て陸奥国まで通じる幹線道路でありました。
若君は急ぎ足で旅を続けます。毛野国の国境はもうすぐ、目の前にやさしげな姿をした山が見えてまいりました、三鴨山です。あの山を越えれば追っ手に追いつかれる心配もへり、一息つくことができます。
やさしげに見えた山ですが、いざ登りにかかるとこれが、なかなかに起伏にとんでおります。しかし、そこは齢十五の若君、かまわずずんずんと登っていかれました。
萌えいずる新緑が目にまぶし季節です、山芍薬が白い花を咲かせ、躑躅はそこここに紅をつづる、かわいらしいイカリソウも見られます。あまりの陽気の良さに、若君は急ぐ足を止めて、青竜ヶ岳を望む一角に腰をおろしました。
北には黄色い岩肌を露にした霊山・岩舟山が、遠く東の地平には筑波嶺の特徴ある影が眺められます。うららかな春の空には鳶が舞っている。
若君は、万葉の昔に詠われた歌を、口ずさんでいました、
「しもつけぬ みかもの山の こならのす まくわしころは たかけかもたむ……あぁ世界は美しいなぁ」
そのときです、どこからともなく放たれた一本の矢が、若君の首を射抜きました。続いてもう一本……。家老が放った追っ手の仕業でした。
若君はその場で息絶え、遺骸は村人たちによって葬られました、いまの一合塚のあたりです。そしてその塚からは、毎年きまって春になると、ふさふさと毛が生えたといいます。なぜ毛が生えてくるのか、理由は村人たちにもわかりませんでしたが、いつしか三鴨山は三毛山と呼ばれるようになっていました。
やがて塚から毛が生えてこなくなると、人々はその場にお地蔵様を建てて若君の菩提を弔ったといわれています。
その後、毛野国は内紛が激しさを増して、間もなく滅びてしまいます、毛生えの秘術とともに。
若君の非業の死も、失われた毛生えの業も、すべてが時の彼方に過ぎ去り、人々の記憶から消え去ったころのこと……
とおい昔のことです、東国に毛の国という大きな国がありました。そこではお米がたくさんとれ、たいへん豊かでありましたので、まわりの国々をすべてしたがえるほどの力を誇っていました。
ところがやがて、毛の国に勝るとも劣らぬくらい大きな国があらわれ、その領地をどんどん広げ始めたのです。
毛の国の殿様は、とてもお困りになり、思案の末、都におわします帝のお力におすがりすることにしました。しかし、家中の意見はまっぷたつに分かれておりましたので、ことはひそかに進めなければなりませんでした。どうやら、家老を中心とした一派が、この機に乗じてお家の乗っとりを画策しておるようなのです。
そのとき、殿様が都への使者としてお選びになったのが、一人息子の若君であります。殿様は言いました、
「このたびは、たいへん難しい使いとなるぞ。都にも、われらのことを心好く思わぬ者たちが大勢おるのだ。帝の力添えを得るためには、その者たちをこちら側にとりこまねばならない。そこで、彼らの心を動かすような特別な貢物を贈ることにした」
「なるほど、それにはよほどのものでなければなりませんね」と、息子。
「うん、じつはな、開祖・豊城入彦命様は、この地に入られるおりに、都にて秘術を授かって参られたのだ。それはとうに都では途絶えてしまっており、当家にしか残っておらぬ」
「そのようなものがわが家に有りましたとは」
「初代よりこのかた、当主にのみ伝えられてきた秘術である」
「して、その物とは?」
「おまえは、なぜわが一族が毛野という姓を名乗るようになったのか、その訳を知っておるか?」
「不勉強にてございます」
「なぜわが一族が毛野なのか、それはな……みな、髪の毛がフサフサだからなのだ」
「えっ、そのような理由だったのですか?!」
「そうだ、わが国が毛の国と呼ばれておるのはダテではないぞ。よいか、開祖様が都で授かった秘術の正体とは、毛生えの業である。その業によってつくられた秘薬をおまえに託す、都の内裏にも薄毛に悩む人々も多いと聞く、行ってそれを救い、同時にわが国の窮地をも救うのだ」
こうして薬を背負わされた若君は、誰にも知られぬようこっそりと、館を発ちます。
当時、毛野国から都へ上るさいは、東山道と呼ばれる道を通りました。それは、いくつもの大きな川を渡らなければならない東海道とちがい、峠を越えて行く山道で、近江を起点として美濃国-信濃国-上野国-下野国を経て陸奥国まで通じる幹線道路でありました。
若君は急ぎ足で旅を続けます。毛野国の国境はもうすぐ、目の前にやさしげな姿をした山が見えてまいりました、三鴨山です。あの山を越えれば追っ手に追いつかれる心配もへり、一息つくことができます。
やさしげに見えた山ですが、いざ登りにかかるとこれが、なかなかに起伏にとんでおります。しかし、そこは齢十五の若君、かまわずずんずんと登っていかれました。
萌えいずる新緑が目にまぶし季節です、山芍薬が白い花を咲かせ、躑躅はそこここに紅をつづる、かわいらしいイカリソウも見られます。あまりの陽気の良さに、若君は急ぐ足を止めて、青竜ヶ岳を望む一角に腰をおろしました。
北には黄色い岩肌を露にした霊山・岩舟山が、遠く東の地平には筑波嶺の特徴ある影が眺められます。うららかな春の空には鳶が舞っている。
若君は、万葉の昔に詠われた歌を、口ずさんでいました、
「しもつけぬ みかもの山の こならのす まくわしころは たかけかもたむ……あぁ世界は美しいなぁ」
そのときです、どこからともなく放たれた一本の矢が、若君の首を射抜きました。続いてもう一本……。家老が放った追っ手の仕業でした。
若君はその場で息絶え、遺骸は村人たちによって葬られました、いまの一合塚のあたりです。そしてその塚からは、毎年きまって春になると、ふさふさと毛が生えたといいます。なぜ毛が生えてくるのか、理由は村人たちにもわかりませんでしたが、いつしか三鴨山は三毛山と呼ばれるようになっていました。
やがて塚から毛が生えてこなくなると、人々はその場にお地蔵様を建てて若君の菩提を弔ったといわれています。
その後、毛野国は内紛が激しさを増して、間もなく滅びてしまいます、毛生えの秘術とともに。
若君の非業の死も、失われた毛生えの業も、すべてが時の彼方に過ぎ去り、人々の記憶から消え去ったころのこと……
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